ちょっと初秋の走り込みがすぎて足の甲を故障してしまい、失意はもちろんやることがなくなってしまったので立川に「君の名は」を観に行ってきました。今更ながら。
ちなみに新海監督の作品は「言の葉の庭」以外はすべて観ています。個人的には新海監督が描くSFが好きなので、ファンタジー寄り、恋愛一辺倒寄りの作品は観ても観なくてもいいかなあと思っていました。単なる食わず嫌いなのですが。
今回の「君の名は」もファンタジーよりの作品だと思っていたので今の今までスルーしてきたのですが、今回観てみて、結論から言うと、とても良かった。とてもとても良かったです。
新海監督自身の、そして僕の大好きな「雲の向こう、約束の場所」の誰も文句を言わないあの頃ジュブナイル設定をベースに、時をかける少女、シュタインズゲートをはじめとした古典的な時空改変恋愛SFのキュンキュンするところのみを抽出して追加、そして「雲の向こう〜」でも「秒速5センチ〜」でも西野カナでも果たせなかった会えなくて震える状況を克服したハッピーエンドを結末に持ってきて80%圧縮した後、新海誠とジブリのスタッフとアントニオ猪木が力任せに2,3発ビンタして再度展開したこの作品、そりゃヒットしないわけないだろうと思ったわけで。
クライマックスあたりで、あ、なるほどこの人やっぱり村上春樹にすごい影響受けているのかもって思ったのは、この作品、村上春樹の「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」に対する「海辺のカフカ」的な立ち位置なんだなあと。
過去の自分の作品に対して、いったん少なくとも自分以外の人たちが納得のいく結末を出してあげたのがこれなんだろうなあと感じた次第。
あと、「星を追う子ども」といいこの作品といい、新海監督が描く草原は間違いなく日本ファルコムで間違いなくイースで間違いなくエステリアであの木は間違いなくロダの木。どんなにおしゃれに取り繕っても監督の原点にファルコムがあることは隠せない、と思っている。
そして事前に思った以上にSFっぽかったのが意外だったのと同時に、ガチSF臭を隠すために民間伝承というか柳田国男/折口信夫あるいはちょっとだけ宮本常一的なとてもわかりやすい民族学の味付けをして万人に受けやすくしたのは川村元気の舵取りのおかげか。
観終わった後にあらためて考えたのだけれども、この人も宮﨑駿も、わかりやすいロリコン臭を漂わせているけど、ロリコンのフィルターを介したマザコンなんだろうなあ二人共。
ジュブナイルのあの頃のあのヒロインの向こうにいるのは、絶対的に信頼がおける、揺るぎない、そして自分では得ることのできなかった理想の「お母さん」の像なんだろうなって。
新海誠の作品には「お母さん」はほとんど出てこないか初期設定で亡くなってる。宮﨑駿の作品も「お母さん」はいないかほとんど関われないか、「耳をすませば」みたいなちょっと偏った「お母さん」(耳をすませばは柊あおいだけども)。
そして彼らにとって理想的な(そして想像上の)お母さんはみつはだしばあちゃんだしジーラだし雫だし一番わかりやすいドーラ。何があっても見放さない絶対的母性をもった女性。
あの二人の監督は得られなかった理想の母性とあの時に満たせなかったリビドーでお金を稼いでいるんだと思うと、性欲ってなかなか捨てたもんじゃないなって改めて感慨にふけってみたり。
いや、なんか今ちょっと酔っ払いながらなのでグダグダ言ってますけど、繰り返しになりますが結論からするとすごくすごく面白かったです。万人におすすめできる、藤子不二雄が言うところのSF(すこしふしぎ)に属するようなとても消化しやすいSF。まだ観ていないなら、是非是非。